ブラックジャック・ランザ

ブラックジャック・ランザ, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=1727190 / CC BY SA 3.0

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ブラックジャック・ランザ(Blackjack Lanza、本名:John “Jack” Lanza、1942年10月14日 – )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー、WWEプロデューサー。
ニューメキシコ州アルバカーキ出身。
生年は1935年ともされる。
現役選手時代はカウボーイ・ギミックのヒールとして、ブラックジャック・マリガンとのタッグチーム「ザ・ブラックジャックス」などで活躍した。
カウボーイの家系に育ち、学生時代はレスリングに熱中する一方、ロデオでも活躍。
南部3州のロデオ大会で優勝したこともあるという。
ドリー・ファンク・シニアにスカウトされ、1962年にプロレスラーとしてデビュー。
当初はカウボーイ・ジャック・ランザ(Cowboy Jack Lanza)をリングネームに、西部の伊達男風のベビーフェイスとして売り出されていたが、1967年にインディアナポリスのWWAでヒールに転向。
ボビー・ヒーナンをマネージャーに従えブラックジャック・ランザ(Blackjack Lanza)と改名し、12月27日にウイルバー・スナイダーからWWA世界ヘビー級王座を奪取して脚光を浴びる。
NWA圏のミズーリ州セントルイスではアーニー・ラッドとも抗争を展開。
1969年には総本山のキール・オーディトリアムにて、2月7日にジン・キニスキー、6月14日にドリー・ファンク・ジュニアのNWA世界ヘビー級王座に挑戦した。
1971年、ビッグ・ボブ・ウインダムことブラックジャック・マリガンと黒ずくめのカウボーイ・コンビ、ザ・ブラックジャックス(The Blackjacks)を結成、同年11月6日にスナイダー&ポール・クリスティからWWA世界タッグ王座を奪取する。
以降、同タッグ王座を巡り、WWAとAWAを股にかけて、ディック・ザ・ブルーザー&クラッシャー・リソワスキーの極道コンビと抗争を繰り広げた。
シングルでの活動も続け、1973年上期にWWWFのペンシルベニアでの興行にブラックジャックスとして単発出場した後、同年下期より単身でWWWFに本格参戦し、ペドロ・モラレスのWWWFヘビー級王座に挑戦。
10月15日にはニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにてアンドレ・ザ・ジャイアントともシングルマッチで対戦している。
1974年はテキサス州ダラスのNWAビッグタイム・レスリング(後のWCCW)に進出、マリガンとのブラックジャックスで同地区のタッグ戦線を席巻する一方、シングルでは10月にホセ・ロザリオからブラスナックル王座を奪取し、12月にはフリッツ・フォン・エリックとアメリカン・ヘビー級王座を争った。
WWWFには1975年にもマリガンと共に参戦、8月26日にフィラデルフィアでドミニク・デヌーチとパット・バレットのチームを破り、WWWF世界タッグ王座を獲得した。
シングルでも11月から12月にかけて、ブルーノ・サンマルチノのWWWFヘビー級王座に挑戦している。
1976年にブラックジャックスを解散してAWAに復帰、ボビー・ダンカンを新パートナーに同年7月23日、ブルーザー&クラッシャーからAWA世界タッグ王座を奪取。
以降、翌1977年7月7日にグレッグ・ガニア&ジム・ブランゼルのハイ・フライヤーズに敗れるまで、レイ・スティーブンス&ラリー・ヘニング、モラレス&ピーター・メイビア、アンドレ&クラッシャー、バーン・ガニア&ビル・ロビンソンなどのチームを相手に防衛を続け、第32代チャンピオン・チームとして長期政権を築いた。
AWAでは1978年にボブ・オートン・ジュニアともタッグを結成している。
1979年にはマネージャーのヒーナンと共に、AWAを追放されたというアングルのもと、ジム・バーネットの主宰するNWAジョージア地区のジョージア・チャンピオンシップ・レスリングに転戦、5月14日にボブ・アームストロングからTV王座を奪取した。
4日後の5月18日、アトランタのオムニ・コロシアムで行われたジョージア・タッグ王座争奪トーナメントにはロン・バスと組んで出場、1回戦でアームストロング&ロバート・フラー、2回戦でダスティ・ローデス&ディック・スレーターを…